小錦八十吉の本名は?病気は治った?年収や実家についても調べてみた

小錦八十吉の本名は?病気は治った?年収や実家についても調べてみた

かつて“史上最重量力士”として土俵を沸かせた小錦八十吉さん。

引退後はタレントとしても人気を集めていますが、その素顔やプライベートについてはあまり知られていないかもしれません。

「小錦さんの本名って?」「あの頃の病気は大丈夫だったの?」「いまの収入ってどれくらい?」と、気になることが次々と浮かんできますよね。

大相撲のスターとして一時代を築いた方だけに、当時から現在にかけての歩みには興味をそそられますし、その背景にあるご実家の話や生活ぶりにも注目が集まります。

この記事では、小錦八十吉さんの本名から健康状態、年収や実家のことまで、信頼できる情報をもとに詳しくご紹介していきます。

気になる疑問を一つひとつ一緒に紐解いていきましょう。

目次

小錦八十吉の本名

小錦八十吉さんの本名について、「現役時代の四股名がそのまま本名になっているのかな?」と気になった方もいるのではないでしょうか。

実はその通りで、現在は「小錦八十吉」が正式な戸籍名となっています。

ただ、もともとのお名前はまったく違うんです。

小錦さんはアメリカ・ハワイ州のホノルル出身で、生まれたときの名前は「サレバ・ファウリ・アティサノエ」さんという、サモア系のルーツを持つ名前でした。

ハワイではごく自然な名前ですが、日本ではかなり珍しく感じられるかもしれません。

力士として日本に来たのち、「小錦八十吉」という四股名を名乗るようになり、その名は多くの相撲ファンに親しまれる存在となりました。

実はこの「八十吉(やそきち)」という名前は、高砂部屋の伝統ある名跡で、以前にも同じ名前の力士が存在していたほど。格式ある名前を継いでいたんですね。

そして現役を引退した後、日本に帰化した小錦さんは、最初の結婚の際に「塩田八十吉」という名前を名乗っていました。

これは当時の奥さまの姓を取り入れた形です。

その後、2004年に現在の妻である飯島千絵さんと再婚した際、新たに「小錦八十吉」という名前を本名として登録したことで、現在の戸籍名となりました。

つまり、小錦さんの名前は、

  1. 出生名:サレバ・ファウリ・アティサノエ
  2. 帰化時の本名:塩田八十吉
  3. 現在の本名:小錦八十吉

という変遷をたどっているのです。

本名の背景をたどっていくと、相撲との深い関わりだけでなく、家族とのつながりや人生の転機が見えてきます。

単なる芸名ではなく、これまでの歩みを象徴するような名前ともいえそうです。

小錦八十吉の病気は治った?

小錦八十吉さんが腎臓の病気を抱えていたこと、ご存じでしたか?

実は、以前から腎臓の機能が少しずつ落ちていて、体調にも影響が出ていたそうなんです。

むくみがひどかったり、心臓に負担がかかったりと、かなりつらい時期もあったようですね。

そんな中、2024年の暮れに奥さまの千絵さんから腎臓の提供を受けて、移植手術を受ける決断をされました。

手術は神奈川県にある湘南鎌倉総合病院で行われて、時間はなんと6時間にも及んだとか。大がかりな手術だっただけに心配の声も多かったですが、無事に成功して、その後は順調に回復しているようです。

退院されたのは2024年の12月23日。

そこから体調を整えながら、2025年に入ってからは、また少しずつ表舞台にも姿を見せるようになってきました。

免疫抑制剤などのケアは今も続いているそうですが、日常生活は元気に過ごせているようで、本当にひと安心です。

何より心を打たれるのは、千絵さんとの絆の深さ。

小錦さんご本人も「ハニー(千絵さん)が僕の中に入っちゃった」と、照れながらも愛情たっぷりに語っていたのが印象的でした。

腎臓移植というのは大きな決断だったと思いますが、その後の様子を見る限りでは、体調はしっかり持ち直しているようです。

ご本人の前向きな姿勢と、家族の支えがあったからこそ、こうしてまた元気な姿を見せてくれているのかもしれませんね。

小錦八十吉のプロフィールや経歴

PROFILE

生年月日:1963年12月31日
年齢:61歳(2025年時点)
出身地:アメリカ・ハワイ州ホノルル
国籍:日本(帰化)
身長 / 体重:約184cm / 現役時代は約270kg
所属部屋:高砂部屋
初土俵:1982年7月場所
最終場所:1997年11月場所
最高位:大関(1987年5月〜1997年11月)
幕内優勝:3回
引退後の活動:タレント、歌手、講演活動、教育番組出演など

小錦八十吉さんといえば、圧倒的な体格と明るいキャラクターで、日本中にその名を広めた元大関。

相撲ファンにとってはもちろん、テレビでよく見かける存在として知っている方も多いのではないでしょうか。

生まれは1963年12月31日、場所はアメリカ・ハワイ州のホノルル。出生名は「サレバ・ファウリ・アティサノエ」さんという、少し長めで異国情緒のある名前です。

サモア系の家系で、なんと10人きょうだいという大家族の中で育ったそうです。

そんな小錦さんが日本の相撲界にやってきたのは、1982年のこと。

当時は元関脇・高見山さん(のちの東関親方)に声をかけられたのがきっかけでした。

高砂部屋に入門し、同年7月には早くも初土俵を踏んでいます。

その後の出世ぶりはまさに異例で、わずか2年で新入幕、そして1987年には外国出身力士としては初の大関昇進を果たしました。

現役時代のあだ名は「ダンプトラック」。これは、体重が250キロを超える圧巻の体格と、それに見合うパワーを象徴するような呼び名でした。

1989年には幕内で初優勝を飾り、最終的には通算3度の優勝を達成。大関として長く土俵を盛り上げた存在です。

1997年に現役を引退したあとは、芸能界へと転身。

バラエティ番組やCMの出演だけでなく、「にほんごであそぼ」など教育番組でも活躍し、子どもたちからも“コニちゃん”の愛称で親しまれるようになりました。

さらに、歌手としてもハワイアンミュージックを中心に活動しており、アルバムもいくつかリリースしています。

プライベートでは2004年に日本人の飯島千絵さんと再婚。

この再婚を機に、本名をそれまでの「塩田八十吉」から「小錦八十吉」へと改めています。

そして2024年には、腎臓の病気を抱えていた小錦さんに千絵さんが腎臓を提供し、無事に移植手術が成功。

その後も安定した体調を保ちながら、現在も元気に活動を続けています。

こうして振り返ってみると、小錦八十吉さんは相撲だけでなく、芸能・音楽・教育と、実にさまざまな分野で才能を発揮してきた方です。

そして、家族を大切にするあたたかな人柄も、多くの人から愛され続ける理由の一つかもしれませんね。

小錦八十吉の所属事務所

小錦八十吉さんが所属しているのは、「株式会社KP(ケーピー)」という芸能事務所です。

この事務所、ちょっと特別なんです。

というのも、代表を務めているのはなんと奥さまの千絵さん。

つまり、ご夫婦で力を合わせて運営されている、アットホームかつ本格的なプロダクションなんですね。

KPの活動内容は、ただのマネジメント業務にとどまりません。小錦さんのタレント活動や音楽活動のサポートはもちろん、子ども向けの教育プログラム、海外での文化交流イベント、さらには社会貢献にも力を入れています。

たとえば「KONISHIKI基金」や「KONISHIKI Kids Foundation」などを通じて、子どもたちに夢や学びの場を届ける取り組みも行っているんですよ。

さらに注目したいのが、所属している顔ぶれです。小錦八十吉さんや千絵さんのほか、相撲界にゆかりのある元力士たちが数多く関わっています。

たとえば、元横綱の武蔵丸さんをはじめ、火の竜さん、泉州山喜裕さん、攻勢力さん、戦闘竜さん、星誕さんといった名前が並んでおり、まさに“力士OBが集まる文化拠点”のような一面も。

こうした背景もあって、KPが主催・協力するイベントは相撲関連のものも多く、現役を引退した力士たちの新たな活躍の場づくりにもつながっています。

相撲ファンにとっては、こうした元力士たちの第二の人生を応援できる貴重な存在といえるかもしれません。

小錦さん自身も「自分の経験を次世代に還元したい」という思いを持ち続けていて、そうした理念がこの事務所の活動にしっかり息づいているように感じます。

芸能活動、教育、相撲文化の発信、そして社会貢献まで。株式会社KPは、小錦八十吉さんの“人柄そのもの”が形になったような事務所といえるのではないでしょうか。

今後もどんな活動を見せてくれるのか、楽しみが広がりますね。

小錦八十吉の年収

小錦八十吉さんの年収について、具体的な数字は公表されていませんが、これまでの活動や報道から推測することができます。

現役時代、大関としての月給は約100万円程度だったとされ、懸賞金やタニマチからの支援も含めると、年間で相当な収入があったと考えられます。

引退後はタレントや歌手として活動し、2001年には高額納税者として名前が挙がり、推定年収は約2.4億円と報じられました。

現在も、テレビ出演、講演活動、音楽活動、イベント出演など多岐にわたる活動を続けており、安定した収入を得ていると考えられます。

また、妻の千絵さんとともに運営する事務所「株式会社KP」では、社会貢献活動や教育プログラムにも取り組んでおり、収入面だけでなく、社会的な影響力も大きい存在となっています。

小錦八十吉さんは、相撲界での活躍だけでなく、引退後も多方面で成功を収めており、その努力と才能が現在の地位を築いていると言えるでしょう。

小錦八十吉の実家はハワイ

小錦八十吉さんの実家は、ハワイ・オアフ島の西側にある「ナナクリ」という地域にあります。

観光で有名なワイキキとは違って、地元の人たちが暮らす落ち着いた雰囲気のエリアで、ハワイの“素顔”が感じられる場所として知られています。

そんなナナクリで、小錦さんは10人きょうだいの8番目として育ちました。

ご両親はサモアからの移民で、家族みんなで力を合わせながら暮らしていたそうです。

大家族ならではのにぎやかで温かい家庭だったことが、今の小錦さんの優しい人柄につながっているのかもしれませんね。

実家の庭には、大きな「パンの木(ウル)」があって、そこの実を使った料理が小錦さんの大好物なんだとか。

日本ではあまりなじみがない食材ですが、ハワイではポピュラーな存在で、小錦さんにとっては“おふくろの味”のような存在なのかもしれません。

また、小錦さんはナナクリの近くにある「マイリ」という場所にも家を建てています。

こちらはオーシャンフロントの邸宅で、目の前に海が広がる贅沢なロケーション。

自然に囲まれた静かな環境で、プライベートな時間を大切にできるような空間になっているそうです。

小錦さんにとってハワイは、生まれ育った場所であると同時に、家族やルーツとのつながりを感じられる大切な拠点。

日本での活動が忙しくても、時間を見つけてはハワイに戻ってリフレッシュしていると語られていました。

温かな家族との思い出や、大自然の中で育まれた価値観が、小錦さんの魅力の土台になっているんだなと感じさせられますね。

小錦八十吉は10人兄弟の8番目

小錦八十吉さんは、10人きょうだいの8番目として、ハワイ・オアフ島のナナクリで育ちました。

大家族の中で育った経験は、小錦さんの人柄や価値観に大きな影響を与えています。

ご両親はサモアからの移民で、子どもたちに良い教育を受けさせたいという思いからハワイへ移住されました。

家族の中では、年齢順の厳格な上下関係があり、小錦さんは今でも家族の集まりでは「末っ子」としての立場を守っているそうです。

たとえ相撲界で大関に昇進し、芸能界で成功を収めた後でも、家族の中での序列は変わらないという姿勢は、彼の謙虚さを物語っています。

家庭では、子どもたちが学校から帰ると、それぞれに与えられた家事をこなし、父親が帰宅する18時には全員が揃っていなければならないというルールがありました。

食事の際も、両親が食べ終わった後に、兄や姉たちから順番に食べるという習慣があり、小錦さんは今でもその順番を守っているとのことです。

また、小錦さんの兄弟姉妹の中には、格闘技界で活躍した人物もいます。

兄のアノアロ・アティサノエさんは、アントニオ猪木さんと対戦したこともある格闘家であり、親族にはアメリカのギャングスタラップグループ「Boo-Yaa T.R.I.B.E.」のメンバーもいるなど、芸能やスポーツの分野で活躍する家族が多いことも特徴です。

このような大家族での経験や家族との強い絆が、小錦さんの人柄や生き方に深く根付いており、彼の魅力の一端を形成していると言えるでしょう。

小錦八十吉の父親

小錦八十吉さんの父親、ラウトアさんは、生粋のサモア人で、家族思いの厳格な父親だったそうです 。

サモアからハワイへ移住し、10人の子どもたちを育て上げました。

その背景には、「子どもたちに良い教育を受けさせたい」という強い思いがあったとのことです 。

ラウトアさんは、非常に真面目な性格で、お酒やタバコ、遊びなどには一切手を出さず、家族のために一生懸命働いていたそうです。

小錦さんは、そんな父親の姿勢を尊敬しており、厳しくしつけられたことも当たり前と受け止めていたと語っています 。

家庭内では、年齢順の厳格な上下関係があり、両親や兄姉たちの言うことは絶対だったそうです。

子どもたちは学校から帰ると、それぞれに与えられた家事をこなし、父親が帰宅する18時には全員が揃っていなければならないというルールがありました。

食事の際も、両親が食べ終わった後に、兄や姉たちから順番に食べるという習慣があり、小錦さんは今でもその順番を守っているとのことです 。

ラウトアさんは、2020年1月に他界されました。亡くなる直前まで元気で、小錦さんや家族と一緒に過ごす時間を大切にしていたそうです。

小錦さんは、父親の教えや家族との絆を大切にし、今でもその影響を強く感じていると語っています 。

このように、小錦八十吉さんの父親であるラウトアさんは、家族を第一に考え、厳しくも愛情深い父親だったことが伺えます。

その教えや価値観は、小錦さんの人柄や生き方に深く根付いており、彼の魅力の一端を形成していると言えるでしょう。

小錦八十吉の母親

小錦八十吉さんの母親、リナさんは、サモアからハワイへ移住し、10人の子どもたちを育て上げた強くて温かいお母さんでした。

家族の中心として、厳しさと愛情をもって子どもたちを導いていたそうです。

小錦さんは、そんなリナさんのことを「家族のまとめ役で、みんなを心から愛してくれた」と語っています。

リナさんは、しつけには厳しく、ご機嫌を損ねると何日も口をきかないこともあったそうですが、それも家族を思ってのことだったのでしょう。

小錦さんは、母親の教えや思い出を大切にし、今でもその影響を強く感じていると語っています。

2002年8月、リナさんは他界されました。小錦さんは、日本から駆けつけ、最期を看取ったそうです。

その際、小錦さんは「ママの命をつないでいた管が抜かれた瞬間、涙が止まらなかった」と語っています。

リナさんの教えや愛情は、小錦さんの人柄や生き方に深く根付いており、彼の魅力の一端を形成していると言えるでしょう。

小錦さんは、母親から受け継いだ価値観を大切にし、今でもその教えを胸に日々を過ごしているそうです。

まとめ

小錦八十吉さんは、元大関として土俵を沸かせた存在でありながら、引退後もタレントや音楽活動など幅広い分野で活躍を続けています。

その背景には、ハワイ・ナナクリの大家族で育った温かくも厳しい家庭環境や、サモア系のルーツを持つご両親の深い愛情と教えがありました。

本名の変遷や腎臓移植を経ての回復、奥さまとの強い絆、家族経営の事務所「株式会社KP」での活動など、一つひとつのエピソードからは、小錦さんの人間味あふれる魅力が伝わってきます。

とくに、お父さんやお母さんの教えが、いまの小錦さんの価値観にしっかり根付いていることが、随所から感じられました。

相撲界だけでなく、人生そのものを通して周囲に元気や優しさを届けてきた小錦八十吉さん。

これからも、その温かい存在感で、たくさんの人に勇気を与えてくれることでしょう。

小錦八十吉さんの他のことについてはこちら
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