アートの世界でいま最も注目を集めている日本人アーティストのひとり、松山智一さん。
その独自性あふれる作品は世界的にも高く評価され、ニューヨークを拠点に活動しながらも、日本国内での知名度も急上昇しています。
ですが、作品のインパクトとは裏腹に、松山さんご本人の学歴や経歴についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
「どんな学校で学んできたの?」「代表作ってどれ?」「作品の値段や年収は?」そんな疑問を持った方も多いはずです。
この記事では、松山智一さんの出身高校や大学といった学歴情報をはじめ、代表作、作品の価格帯、さらにはアーティストとしての収入事情までを網羅的に調べてみました。
知れば知るほどおもしろい、松山智一さんの人物像にぜひ触れてみてください。
松山智一の学歴
国内外で活躍するアーティスト・松山智一さんは、意外にもアート専攻ではないキャリアからスタートしています。
高校までは日本で学び、大学では経済学を専攻。
そこから一転してアートの世界に進んでいく過程は、少しユニークで、だからこそ今の表現につながっているのかもしれません。
ここでは、松山さんの出身小学校から大学、そしてアート留学に至るまでの道のりを、時系列でたどっていきます。
松山智一の出身小学校
松山智一さんは、岐阜県高山市の出身です。
具体的な小学校名は公表されていませんが、小学3年生から6年生まではアメリカ・カリフォルニア州オレンジ郡で過ごしていたとのこと。
この海外経験が、のちの多文化的な作風や価値観に大きく影響を与えていると考えられます。
この頃からストリートカルチャーやスケートボードに親しんでいたそうで、既に“カルチャーを横断する視点”が育ち始めていたのかもしれませんね。
松山智一の出身中学
中学校からは日本に戻り、千葉県木更津市にある暁星国際学園中等部に進学します。
当時から「アートの『ア』の字も知らなかった」とご本人が語っている通り、美術にはまだ縁がなかったようですが、その代わり英語力を中心とした国際的な教育環境で学んでいたそうです。
同校はカトリック系の私立校で、グローバル教育を重視していることでも知られています。
英語教育と多文化理解を自然に身につける環境が、後の海外留学や国際的活動の基盤になっていたのかもしれません。
松山智一の出身高校
高校も引き続き暁星国際学園高等部へ進学。
中高一貫校のため、学習環境に大きな変化はなかったようですが、インターナショナルコースに在籍し、より実践的な英語運用能力を磨いていきます。
高校時代もまだアートとの接点は少なく、本人はスケートボードなどのカルチャーやスポーツに傾倒していたとのこと。現代アートというよりも、ストリート感覚やアンダーグラウンドな世界に惹かれていた背景が感じられます。
松山智一の出身大学
大学は、東京都千代田区にある上智大学経済学部経営学科へ進学します。
経済学を学ぶ道を選んだ背景には、お父さんの影響やキリスト教的な家庭教育もあったようです。
ただ、在学中にスノーボードに夢中になり、一時はプロを目指してカナダで活動するほどだったそうです。
しかし大怪我に見舞われたことをきっかけに、自身の進路を見つめ直し、アートの世界へ踏み出す決断をします。
大学卒業後はすぐに就職せず、夜間で桑沢デザイン研究所に通いながら、グラフィックやビジュアルデザインの基礎を学習。
そこから2002年にアメリカ・ニューヨークの名門プラット・インスティテュートへ進学し、コミュニケーションズ・デザイン学科を首席で卒業するに至ります。
経済からデザイン、そして現代アートへ──。
一見遠回りのようでいて、すべてが現在の創作活動にしっかりつながっているのが、松山さんの魅力でもあります。
松山智一の代表作
松山智一さんの作品は、伝統と現代が混ざり合った独特の世界観が魅力です。
絵の中には日本画のようなモチーフや、海外のポップカルチャー、宗教画、日常のアイテムまでが入り交じり、まるで「文化のごった煮」のような迫力を感じさせます。
その代表作としてよく知られているのが《We Met Thru Match.com》。
6メートルを超える大作で、ジャングルのような背景にさまざまな文化がミックスされ、出会いや人間関係の「いま」を象徴する作品とされています。
タイトルが出会い系サイトに由来している点もユニークです。
また、最新作として注目を集めているのが《Passage Immortalitas》。
ルネサンス絵画を思わせる構図に、インテリアや商品ロゴなど現代的な要素を重ねることで、時代やジャンルを飛び越えた新しいビジュアルを生み出しています。
さらに《20 Dollar Cold Cold Heart》や《Keep Fishin’ For Twilight》なども、繊細な描写と鮮やかな色使いで人気のある作品です。
どの作品にも「見る人によって意味が変わる」ような仕掛けがあり、1枚の絵の中に何層もの物語が込められています。
松山さんの作品はニューヨークをはじめ、世界各国のギャラリーで展示されており、その価値は年々高まっています。
興味があれば、本人のInstagram(@tomokazumatsuyama)でも作品を見ることができるので、ぜひ覗いてみてください。
松山智一の年収がすごい?
アートの世界で「年収」を正確に把握するのは難しいとはいえ、松山智一さんのように国際的な評価を受けている作家の場合、市場の取引実績や活動規模から、ある程度の推定が可能です。
結論から言うと、松山さんの年収は少なく見積もっても数億円規模、年によっては10億円を超える可能性も十分にあります。
アート市場での“売上”は年収に直結する
アーティストの年収は主に、以下の3つのルートから構成されます。
- ギャラリーや美術館での作品販売
- アートフェアやオークションでの落札
- 企業とのコラボやパブリックアート案件の報酬
松山さんの場合、ニューヨークを拠点に、香港・パリ・ロンドン・東京と世界中で展示・販売を行っており、その収益機会の幅は非常に広いです。
単価の高い作品を年間数点販売するだけでも、億単位の売上が生まれます。
また、海外ギャラリーとの契約では、1点あたりの価格が5,000万円以上に達することもあり、販売が好調な年には1年間で数億円単位の収入が生じていると見てよいでしょう。
公表はされていないが、オークション価格がヒントに
松山さん自身が年収を明かしているわけではありませんが、過去のオークション結果から間接的に読み取ることができます。
たとえば、2023年に香港で開催されたオークションでは松山さんの作品が約4,200万円で落札された実績があります。
さらに、過去には1億円を超える取引額が報じられた例もあり、「数千万円〜数億円」の価格帯で安定的に評価されている作家だということがわかります。
そのため、個展やフェアで複数の作品が売れた場合、1イベントで軽く数億円の売上につながることも珍しくありません。
継続的な活動と評価が“高収入”を支えている
松山さんの特徴は、スポット的に注目されるだけでなく、毎年のように新作を発表し、国内外で展覧会を開催し続けている点です。
こうした“継続的な露出”が収入を安定させ、市場価値を維持・向上させています。
さらに、企業とのコラボレーションや商業施設へのアート設置(例:麻布台ヒルズなど)といったパブリックプロジェクトでも実績を重ねており、アート作品以外の分野からも大きな収益を得ている可能性があります。
松山智一の作品の値段
松山智一さんの作品は、現在のアートマーケットでも非常に高く評価されており、その価格帯も幅広く展開されています。
なかでも注目されるのが、国内ギャラリーでの販売価格と、海外オークションでの取引額とのギャップです。
まず日本国内では、シルクスクリーンやジクレーなどの限定プリント作品が多く流通しており、価格は20万円台から始まり、高いもので200万円を超えるケースもあります。
たとえば、「The Couch Unsent Piano」や「Honestly Gone Going」などの作品は、200万円前後でギャラリーにて販売されていました。
一方で、比較的手に取りやすい価格帯の作品もあり、30万〜50万円ほどで購入できるプリントも存在します。
一方、海外のオークションでは、桁違いの取引が報告されています。
代表作「Still Growin’ Up」は、1点で150万〜250万ドル(日本円で約2億〜3.3億円)に達するとされ、ニューヨークや香港のオークションハウスではたびたび数千万円〜億単位での落札実績が確認されています。
その他にも、「New Love Fire Engine」や「Wave All Star」などが5,000万円前後で取引された記録もあり、世界的な需要と評価の高さを裏づけるものとなっています。
また、オークションに出品されないギャラリー作品やコラボ作品なども含めると、松山さんの作品価格は非常に多層的です。
コレクター向けの大型ペインティングから、一般のアートファンでも手が届く価格帯の版画まで幅広く揃っていることが、人気の一因とも言えるでしょう。
作品の価格はサイズ、制作年、技法、エディション数、販売経路などによって大きく変動しますが、現在の相場をざっくりまとめると、プリント作品は数十万〜200万円台、オリジナル絵画は数千万円〜数億円レベルというのが目安になります。
これらの価格帯からもわかるように、松山智一さんの作品はすでに“投資対象”としても注目されており、今後の価値上昇を見込んで購入するコレクターも多いようです。
気軽に飾れる一枚から、美術館クラスの存在感を放つ大作まで、その幅広さと市場の厚みは、アーティストとしての地位を物語っています。
松山智一のプロフィールや経歴
名前 松山 智一(まつやま ともかず)
生年 1976年
出身地 岐阜県高山市
拠点 アメリカ・ニューヨーク(ブルックリン)
職業 現代美術家/ビジュアルアーティスト
学歴 上智大学経済学部経営学科卒業
プラット・インスティテュート大学院(首席修了)
代表的な活動 絵画・彫刻・インスタレーション・公共アート
所属歴 元SVA(School of Visual Arts)非常勤教授(2012〜2017)
公式Instagram @tomokazumatsuyama
松山智一さん(1976年生まれ、岐阜県高山市出身)は、日本とアメリカ、二つの文化圏を行き来しながら独自の表現世界を築き上げた現代美術家です
幼少期の3年間、アメリカ・カリフォルニア州オレンジ郡で過ごし、スケートボードや多文化環境に親しんだ経験は、後の創作の多層的な出発点になったといえるでしょう
帰国後は暁星国際学園中・高等部(アングロアメリカンコース)で学び、英語と国際感覚を磨きながら、日本での学びや生活も深めていったようです。
その後、上智大学経済学部経営学科に進学。在学中にはスノーボードに没頭し、プロを目指すほど熱中したものの、豪快な大怪我を機に進路を見直す転機を迎えます。
大学卒業後は就職せずに、自身の創作欲と向き合い桑沢デザイン研究所夜間部へ進学。
ビジュアルデザインの基礎を習得し、2002年に再び渡米。
ニューヨークの名門プラット・インスティテュート通信デザイン科(MFA)に進み、首席で卒業しました。
学生時代以降は、ニューヨークのブルックリンを拠点に活動を続け、絵画を中心に立体、インスタレーション、公共アートまでも手掛けています。
近年の主な個展には、2024年にヴェネツィアのアルセナーレで発表された“Mythologiques”、2023年の弘前れんが倉庫美術館や上海Powerlong Museumで開催された“Fictional Landscape”などがあり、日本国内外での評価が目覚ましい状況です。
設置型の公共アートとしては、2019年にニューヨーク・バワリー・ウォールでの大型壁画、2020年にはJR新宿駅東口広場の彫刻《花尾》や明治神宮参道での《Wheels of Fortune》などが知られていて、都市空間への視覚的インパクトも強い印象を残しています。
さらに作品が収蔵された美術館としては、ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)、サンフランシスコ・アジア美術館、マイアミ・ペレス美術館、中国の龍美術館や宝龍美術館、さらにはドバイ王室のコレクションやマイクロソフト社のコレクションなど、公共と企業の双方から高く評価されている点も特徴的です。
また、教育者としての一面もあり、2012年から2017年までニューヨークのSchool of Visual Arts(SVA)で非常勤教授を務め、後進の育成にも力を注いできました。
松山智一さんは、多層的な文化背景と専門教育、そして公共・教育・制作の三軸を通じて、グローバルとローカルを横断するアーティストとして揺るぎない地位を築いています。
その軌跡を踏まえれば、多面性に富むプロフィールと丁寧なキャリアの流れが見えてきます。
松山智一の受賞歴
松山智一さんは、いわゆる美術賞やコンクールでの受賞歴は多くないものの、国内外の大規模プロジェクトに“選ばれる側”としてキャリアを築いてきました。
特に、公共空間でのアートワークや国際展への招聘といった実績が、評価の証といえます。
たとえば、以下のようなプロジェクトへの採択・選出が確認されています。
- 2014年|ハーバーシティ(香港)でのパブリックアート制作
商業施設のアートコミッションとして依頼を受け、大型壁画を制作。多国籍な審査を経ての選出とされます。 - 2017年|HOCA財団(香港)による招聘展示
「OH MAGIC NIGHT」展など、アジア圏の著名アーティストと並び作品を出展。アート財団からの指名による参加です。 - 2019年|ニューヨーク・バワリー・ウォール壁画に抜擢
キース・ヘリングなどの著名アーティストが手がけたことで知られる伝統的な公共壁画プロジェクト。松山さんもその流れを継ぐかたちで起用されました。 - その他の公共アート選出例
・明治神宮での屋外作品《Wheels of Fortune》
・新宿駅東口広場の彫刻《花尾》
・麻布台ヒルズでのアート展示プロジェクト
いずれも、企業や都市からの依頼で選定された実績です。
また、受賞に近いかたちで、下記のような高評価も積み重ねています。
- 国際展への個展出展
・2023年:弘前れんが倉庫美術館
・2024年:ヴェネツィア・アルセナーレ
・2025年:麻布台ヒルズ「FIRST LAST」展 - 主要コレクションへの収蔵
・ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)
・マイクロソフト(米)
・サンフランシスコ・アジア美術館
・ドバイ王室や中国の龍美術館 など
こうした“賞ではないけれど選ばれている”実績の数々は、形式的な受賞歴以上に意味のある評価といえます。
とくにパブリックアートの分野においては、信頼と実力がなければ成立しないため、これらの選出は実質的な受賞と同等の重みを持つでしょう。
現在も継続的に国内外からプロジェクトの声がかかっている松山さんは、アワードという枠を超えて、評価され続ける存在として確かな地位を築いていると言えます。
まとめ
松山智一さんは、日本と海外を舞台に活躍する現代アーティストとして、唯一無二の存在感を放っています。
幼少期にアメリカで多文化に触れ、大学では経済を学びつつも、怪我をきっかけにアートの世界へ進んだという異色の経歴。
そこからプラット・インスティテュートを首席で修了し、今やニューヨークを拠点に国際的に評価される作家となりました。
作品は、伝統的な日本美術や宗教画、ポップカルチャーなどを融合させた独特のスタイルで、世界中の美術館やコレクターに収蔵されています。
特に近年は、公共空間での大型プロジェクトや企業とのコラボレーションも多く、アートを通じて都市や社会と関わる姿勢が高く評価されています。
明確な受賞歴こそ多くないものの、各地からの招聘や選出実績が何よりの信頼の証。
オークション市場では1億円を超える価格で取引される作品もあり、年収も数億円規模とされるなど、経済的な成功も含めて注目を集めています。
芸術的な価値と市場性の双方を兼ね備えた松山智一さん。これからの活動にも引き続き目が離せません。
気になる作品があれば、まずは公式Instagramなどからチェックしてみるのもおすすめです。
